韓国が生んだ「グローバルブランド」がまた立ち上がるためには皆の努力が必要だというのだ。
「フォーエバー東方神起’!」


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韓国が生んだ「グローバルブランド」がまた立ち上がるためには皆の努力が必要だというのだ。「フォーエバー東方神起’!」

解散された HOT'を見れば '東方神起進む道'が見える

[アジア経済新聞ファングヨングフィ芸能パトロール] HOTを見れば東方神起が見える。

1996年青少年たちに絶対的な偶像で過ごしてきた「ソテジワアイドゥル」が解散を宣言した後、五人の男性グループがまた尋ねてきた。HOTだった。彼らは「ソテジワアイドゥル」が去った後、空虚になった青少年たちの心を、独特なコンセプトと多様なマーケティングで完壁に捕らえた。

話し上手なトニ・アン, ハンサムで歌のお上手なカンタ, ラップがお上手なイ・ゼウァン,「踊りの達人」チャン・ウヒョク, 可愛いムン・ヒジュンなどそれぞれ違うキャラクターを持った人々の5人は韓国最高の男性グループで韓国歌謡界をアップグレードさせたという評価をもらった。

当時イ・スマン理事は彼れらにそれぞれ独創的な、多様な役割を付与することで千編一律的なアイドルグループを新しく変貌させた。特に抵抗的な歌詞と時代を超える音楽は過度な学業と不透明な未来に押さえつけられた青少年たちに「夢と希望」を与えるに充分だった。

彼らの登場は韓国社会に「10代役割論」を浮上させて、人々に大衆文化もコンセプトとマーケティングが必要だということを見せてくれた。 これはアメリカ等地で大衆文化マーケティングを注目したイ・スマン現SM理事によって試みされた体系的なプロモーションだった。

イ・スマン理事はまた、いつも韓国の優秀な音楽がいつでも海外で通じられるという可能性に対して強い自信を持っていた。 当時「韓流」という単語を最初作り出した人も、まさにイ・スマン理事とHOTメンバーだった。

HOTが北京で歴史的な公演をした2000年のある日。 韓国の五人のミュージシャンに熱狂し長く並んだ中国観客を見て北京のある言論社が「韓流」で表現したこと。「韓国の波」という意味は韓国の大衆文化に熱狂するアジア人を表現する「象徴語」になってしまった。 当時 「韓流」という単語はイ・スマン理事の努力と HOTメンバーの涙ぐましい努力がもたらした産物だった。 当時韓流は今は解散されたクローンを始じめNRG、BABY VOXなどが HOTとともに導いた。

当時イ・スマン理事は「韓国人の高い芸術的な感覚は世界レベルである。 このような長所をそのまま死蔵させるということは国力の無駄使いだ。 それで私たちは海外に行かなければならない」という話で「韓流」の可能性を力説した。

以後、SMは北京に事務所をつくった。 本当の現地化のためにはその国の情報に精通して, 体系的なネットワークが必須というそれなりの所信のためだった。 そして遂にHOTは中国、台湾、香港などの舞台で最高の韓流グループになった。

以後、イ・スマン理事は韓流伝道師になった。 そして彼は韓流を活性化するためには三つが必要だと強調した。 まさに、能力のあるミュージシャンと価値を高められる促進(マネジメント), そしてそれを現地に盛り出すことができる流通(ネットワーク)などだ。以後、彼は韓国はもちろんアメリカとヨーロッパに至るまで全世界を歩き回って可能性のある、能力のある青少年たちを捜し出し始めた。

あの時、捜し出したミュージシャンがまさにSHINHWA、FLY TO THE SKY、 BoA、 東方神起などだ。

しかし、この時 HOTメンバーの間には何か新しい疑問が積もり始めた。 SMではない所で活動すればどんな待遇をもらうか? 今、自分たちの待遇が果して合理的なことか。この時彼らに多様な人々がおびただしい条件を掲げながら近付き始めたことも事実だ。 そして当時は幼かったメンバーは「SMという垣根」が自分たちを縛って締め付ける「足かせ」だと思った。 遂にチャン・ウヒョク、トニ・アン、イ・ゼウァンなどが脱退を宣言したし、カンタ、ムン・ヒジュンはSM内残留を宣言した。 メンバーも二人に分けた。

SMも惜しいが彼らの決定を認めるしかなかった。 ザン・ウヒョックなどの3人の方はSM脱退の後、jtlというグループで活動を始めたし残り担いでしたカンタとムン・ヒジュンはソロで活動を始めた。しかし、ここで惜しいことはアジア各国でおびただしい反響を起こしている「韓流伝道師」HOTの消滅だった。

当時も HOT メンバーは「私たちは一つ」と言いながら、たとえ事務所には離れているが機会があったら必ず「一つになったHOT」を見せるとファンにつよく誓った。 しかし、以後一回もHOTメンバーが一緒に公演をしたことは

なかった。

当時、脱退を宣言した3人のメンバーはHOTの人気要因の相当の部分が個人たちの知名度によると思った。 「韓流」も3人のメンバーだけでも充分活性化させられると信じた。 しかし、状況は違った。

SMから離れた3人の存在価値はは普通のミュージシャン3人に過ぎなかった。 理由はSMの長所をこれ以上もらえなかったからだ。SMには海外市場を開拓してきたノーハウと、がっちりしているネットワークがあった。 ネットワークがしっかりしているなら比較的、満足することができなかった歌でも、充分に人気曲になれるし, 現地有名音楽関係者もわがほうとすることができた。

代わりにいくら個人の能力がすぐれて可能性があると言ってもネットワークとマネジメントが弱ければ成功することができないという、とても簡単な真理を彼らは見逃していたのだ。つまり、SMの力強いネットワークとブランドがあったからHOTがあって,BOAもあったと見られるという。

今度の東方神起も同じである。 彼らも最近「東方神起ショック」を駆って来たシア・ジュンスなどの3人が別途の会社をつくって独立するとしても前の「韓流最高グループ東方神起」という名声を続いて博せられるかは未知数だ。 彼らには韓流ノーハウがなくて, 彼らを流通してくれるネットワークがないからだ。

最近日本で「東方神起」の人気はすごい。 日本人 10人の中 7〜8人は東方神起を知っているくらいだ。 年令層も10代から50代まで幅広い。 ここに中国はもちろん、タイなど東南アジアでも彼ら東方神起の人気は超特級と言える。

これは SMが日本のエイベックスと姉妹提携関係を結ぶことで日本内マネジメントとネットワーク問題を解決したからだ。 また、中国には「SMチャイナ」を作って現地化に備えたし、タイでは東南アジア最大アルバム社であるグラミーレコードと契約、その誰も持つことができない人跡ネットワークを動員することができるからだ。

東方神起が所属事務所を離れて新しい企画社に巣を作るとしても「韓流伝道師」としての本来の機能を発揮することができるか疑問が生ずることも、このような要因のためだ。 SMくらい彼らをよく知っている会社がなく, SMくらいしっかりした人跡ネットワークと現地流通網を確保している会社もないからだ。

当時 HOT メンバーがもうちょっと深く思って, 大事をとったらHOTは韓流の核心がなっていたはずだ。 また、まだ「アジア最高グループ」になってアジアを号令していたはずだ。

それでは東方神起はどうなのか? もうちょっと譲歩して, もうちょっと理解の幅を広げるなら、彼らやっぱり「HOTのへま」をしでかさないだろう。 もちろんSMも無心になければならない。今までのおりも全部なくさなければならない。 もちろん、大変なことだが「韓流」を保護して、もっと発展させて行くという次元で自重自愛しなければならない。

このところで本当に頼みたいことは、韓国が生んだ「グローバルブランド」がまた立ち上がるためには私たち皆の努力が必要だというのだ。 「フォーエバー東方神起」!

原文:http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2009080401225439383

 

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